そのやれ、は簡単にできる?
仕事で口が悪い人だと音沙汰もなく「やれ」とだけ、仕事内容のみを放り投げて
去っていく人がいます。
「え、その仕事初めて」「え、なにをどうやるの?」「これすっごい時間かかるやつやん」と思おうが構いやしません。
「やれ」
このまるで映画でマフィアが殺し屋の主人公に指図するような中身もなにもない指示(指示というレベルですらない)で苦しめられたことでしょう。
この「やれ」は日本人に多くみられると思います。
その理由として、日本人は「察し」という良くも悪くも根付いた文化があります。
一から十まで言わなくても分かるだろう?さぁ、とっととその与えた仕事を片付けてくれ。
私はこの文化が滅びればいいのにな、と思いながらキーを叩いています。
そして主語の省力。「(君が)やれ」「(君が先輩と)やれ」。
()を付け加えるだけでもケーキに備え付けあるサンタの砂糖菓子くらいはマイルドになります。
ただ悲しいかなそんな事すらできない人が多い。特に団塊世代。
「団塊世代はこれだから」と言われているかもしれませんよ。
人の考えには当然ながら差異が生まれるものです。その差異が始めは小さいものでも
下手な伝言ゲームのように最後はまったく別の意味になっている可能性は十二分にあるのです。だから意思の相互確認は非常に重要なのです。
報連相とかよく昔から言われますよね、耳にタコが出来るくらい。
でも伝達ミスや仕事の結果に相手が求めているものと自分が考えていたものに違いが出来る。
とどのつまりルールばかりが前を行き肝心の内容が伴っていない。
「やれ」
じゃなく、
「誰と、どの期間で、どの程度のレベルで、どのツールを使って、やってくれないか。そして出来たら報告を頼む。確認して間違いなければ誰それに提出しておく」
ここまで伝えておくのが仕事では普通ではないでしょうか。
え、甘えるな?俺たちの時代は?うちは学校じゃない?
じゃあ、あなたの仕事って何ですか。朝に来て準備している部下を余所目に日経新聞でも読んで情報取り入れて「俺はなんてできる人材だ」と悦に浸ることですか。
いつか部下から言われても知りませんよ。「やれ」と。
チャオ。
金は心の安定をもたらすか
お金がない!
リワークにまた体験として行ってきました。
暖かい雰囲気でここに決めようと思い、早速その施設の職員さんに利用の話をし、
面談で今はどんな現状か、過去ではなにがあったのかを話していきました。
まだその職員の方には話しにくいなということは話してませんが、おおまか自分の状況や悩み事や目標などを話せたと思います。
そして福祉センターに行くための書類も作り、ケアマネの方ともアポも取りました。
来月から正式に利用開始です。
ですが…ひとつ大きな困りごとが立ちふさがっています。お金です。
仕事を辞めた今ではもちろん収入はありません。アフィリエイト広告なんかもまったくありません。
ですが、来月にはクレカ支払い(会社で働き続けると楽観的に考え使った私が愚かでした。おまけに自殺未遂用のカフェイン飲料のお金も高くついた)があるのです。
おまけに会社で給料から控除されていた保険・年金の支払いがあります。
そして再来月からは、国民年金・国民保険の支払いが待っています。通信費も支払わなければなりません。転職活動用のお金も必要です。
ですが手元は貯金が残りわずか雀の涙程度にしかありません。これも自業自得ですね。
ただこればかりは親に肩代わりは流石に甲斐性なし過ぎる。まだ未成年ならまだしも
成人式が昔話になるほど時が経ちました。
払わねば、稼がねば…そして僕は求人誌を読み漁りました。
働けど働けど…
バイトは呆気なく見つかりリハビリ兼転職活動もやれやれこれで安心して出来る。
甘かった。甘かったんです。
新しいバイトで来月に与えられたシフト時間と時給を合わせると…あれ2万もいかない、うそでしょ。いやというか土日祝に入れてもこれはキツイ…。
お金がない。非常に焦りました。いや今も焦っています。
このままだと一人暮らしを実現の夢なんか甘い妄想です。
これは今のバイトのシフトを増やしてもらうか、新しいバイトをまた入れてWワークでやるか。
結論は後者に決まりました。前者だと、あれ会社の保険等の支払いに明らかに間に合わない…。
入院がなければもう少し事態は好転していたかもしれません。あのロスタイムは本当に本当にロスでした。
ということで警備か家庭教師の短期バイトをエントリー、今は返事待ちです。
体と心を休養するための時間なのにな…と深いため息が止まりません。
その時愚かにも合理性を欠いた人間は思うのです。
「宝くじ当たらないかな」
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★余談★
こんな経済的に苦しくても将来のために勉強しなければ!
と思い本屋に行きますが技術書ってお高い…
本当はね、OCJP-JavaSE8 Silverの問題集買って資格を取りたいんですよぉ。
徹底攻略 Java SE 8 Silver 問題集[1Z0-808]対応
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本はそこまでお高くないんですが、受験料が非常にお高い…。
資格とることよりスキル磨くことに専念しよう。この資格取る目的はそもそもその一環ですしね…
好きなものは好きなもの
よく言われませんか?
「この歳なのに、こんな子供向けみたいなの好きなの?」
「こんなのしてなにが楽しいの?これの方が絶対楽しい」
「これをしないなんて人生損しているよ!やろう!」
この類の価値観の押し付けとでもいいましょうか。自分の好きなもの、趣味にケチをつけられるのは一番嫌いです。
好きなものはいつになってもそれが本来は女向けだろうが男向けだろうが好きで楽しいのです。
歳にふさわしい趣味ってなに?と私はそんな価値観押し付け野郎に訊きたい。
成人すればなにかふさわしい趣味の枠、とでも決まっているのだろうか。
人に迷惑をかけないのであれば趣味は誰にもケチをつけられることは本来はおかしいことなのだ。
価値観の押し付けは、非常に罪深い
「とりあえず生」、「男だったらこれ」「女の子だったらこれ」
この言葉でどれだけの人々が苦しい思いをしたのか…!!
特撮好きで、可愛いものがすきなおっさんでなにが悪い?
私はいわゆる特ヲタと呼ばれる存在なのだろう(世にはもっと趣の世界に心血注いでいる方がいるので自信がない故の表現
)。
あと可愛いものに目がない。例をあげればLINEのスタンプで有名な「コウペンちゃん」
おわかりただけるだろうか、かわいい。
あと食器やケーキなどかわいいもの目が行く。
しかし、そのことに元職場の人に偶然目が留まりいわれた。
「え、男なのに好きなの?ええ」
ええやないか、自分が好きなだけで別にお前に分かってもらおうだなんて塵ともおもってはいない。
また家では、ニチアサ(日曜日の8:30~9:30に渡るゴールデンタイム、ゴルフや駅伝などで潰れることがある、これも全部巧ってやつのせいなんだ)を見ていると親が‥‥
「イイ歳なのにおこちゃまだな」
謝れ!全ニチアサファンに謝れ!!
仮面ライダーや戦隊モノ、魔法少女ものは確かに子供向けにつくられたものであることはまごうことなき事実。
だが、それを大人が楽しんではいけない理由があるだろうか、いやない。
好きなものは好き、それは齢をいくつ重ねようが関係ない。
ガラクタは宝
最近腹立たしいのがお父さんのプラモ・玩具を捨ててあるいは売って部屋をすっきりしようなどという血も涙もない番組があったことだ。
確かに家族からしたらただのガラクタにしか見えないかもしれない。
確かに世間からしたら売値のつかないガラクタでいつかは手放さないといけないものなのかもしれない。
でも宝物なんだよ。積んでいるプラモも開封していないフィギュア、開けた形跡のない円盤。宝なんだ、誰にも侵入されたくない聖域なんだ。
それを「ゴミ」「捨てるべきもの」とレッテルを貼られたときの辛さは砂の味を噛みしめるに等しいものだ。
他人の趣味や好きなものを否定するのはやめよう
人の趣味・嗜好を否定して何が生まれるだろうか。
そこには否定されたものの悲しい思いだけが残る。
他人の趣味にケチをつける権利は人にはない。決してない。
そして自分の価値観を他人に押し付け、他人の思考を踏みにじり植え付ける権利も
もちろんない。
なのに実際はどうだ。SNSでも現実でも否定否定押し付け。
うんざりだ。
かの夏目漱石がこう「草枕」の冒頭で書いている。ただでさえ生きづらく、辛いのがこの世だ。この現世だ。だったらその現世をひとときでも忘れられる趣味を否定するな。
否定する時間があったら自分がしたいことを人の迷惑を掛けない程度にしろ。
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★余談★
大きな特撮ファンでこういった屈折した思いを抱える人は多いのではないか。
それを描いたうまく描いたのがこのマンガだと思う。
特撮ファンあるあるやヲタとしての葛藤が描かれており、あー分かる!うん!
と共感する人は読者でいると思う。あと仲村がかわいい、うん。
このドラマがNHK総合金曜10時からやっているので興味があったらぜひ視聴してみよう。なんと岡元次郎、あの次郎さんがスーツアクターで出ている!
アクションや名乗りもちゃんとキレッキレだ。あと任侠さんがかわいいぞ。
ではまた、チャオ。
リワークでGO
1.リワークってなんぞや
リワークとは文字通り「復職」を意味する言葉である。
精神疾患や何らかの障害によって仕事を休職した、もしくはやめた人にとって
また社会復帰への足がけとなるサービスを提供する場所のことである。
私は今、そこの施設体験をしている。
利用している施設はとても落ち着きがあり、ネットや電子書籍・e‐ラーニングなどが
使用でき社会復帰はもちろん、そこでスキルアップや情報収集が出来るシステムとなっている。
利用層については私のような抑うつなどの精神疾患だろうか、老若男女さまざまだ。
2.なにをするの?
私はまだ体験中の身なので詳しくは分からない。
おおまかに職員の方から聞いたり、いま体験していることを書いていく。
施設に訪問するのがおよそ9:00。
時間の理由はもちろん会社勤務を想定した時間である。
次に朝礼で情報交換、軽く施設内の清掃などを利用者全員で行っていく。
その時の雰囲気は和やかなものでなにかさせられているという感じではなく、皆進んで掃除をしている印象だった(中には椅子のネジ締め等のメンテナンスを行う人もいた)。
そして10:00までは共同でやっている作業の確認を利用者同士でしたいたり、個人でなにか読書や新聞を広げたりしている。
人によってはなにか共同でプロジェクトを立ち上げて計画し実行していると、職員の方から伺った。
そして私は早速PCを使い(PCは無償で貸与され使える)、e‐ラーニングを行ってみた。SQLが学べる項目があったので飛びついてみたが、どうやら使ったPCの性能がAdobeのFlashにあまり相性が良いものではなく、恐らくFlushでなにか動作するのだろうなというところがブラックアウトして学習には向いていなかった。
なので勝手ながらタイピング練習をし、自身が好んで読む「newspicks(NewsPicks | 経済を、もっとおもしろく。)」で気になる記事を数記事ほど読み、記事に対する批評もさらりと読み進めていった。
そしてせっかくだから、いまの私の現状を転職までのプロセスを書いていこうと思い記事を起こしたのだ。
10:50になると小休止をしていく。といっても各々自由である。
そして11:00になるとストレッチが始まった。他の利用者の方はこの曜日が一番キツイと云うがジム通いの私からすればそこまでのものではなかった。
それが終わるとまた個人学習に戻る。アンケートを書いてほしいと職員の方から紙を渡されて、昨日に何時に寝たか今日は何時に起きたかという欄と服薬している私は昨日飲んだ時間を書いていった。
ちなみに昨日はかなり寝つきが悪く深夜の3:00に寝たと思う。少し寝ぼけ眼でこの記事も書いている。
3.この記事の目的
これはリワークとはどういうものか日記調で書いていき、もし精神疾患やなんらかの障害で仕事に就きたくても就けないと悩んでいる方にこういう手段もあるんだよと可能性の開示をしたく書いたものだ。と同時に自身の備忘録のようなものである。
インプットしたものをアウトプットしたいというのがエンジニアの性かそれとも単なる私の趣味かそれはさておき、自身が体験して純粋に感じたものを残しておきたいのだ。
ところでリワーク施設、正確には社会福祉支援というのだがそれを利用するには、条件がある。
①障害手帳や医療支援自立手帳などの自身がなんらかの障害を持っていることを医師や市から証明されるものを発行されていること。
②現在、休職中あるいは退職後であること。
③利用料が必要、ただし個人の条件によって負担額は異なる。
(この条件に関しては各市や施設によって異なる場合があり、私が利用している施設は年収などによって市と相談の上決まる)
以上のことを踏まえ、自身が利用できるかを利用したい施設に問い合わせるのが良いだろう。
こういった施設では社会福祉士、精神保健福祉士などケアサポのスペシャリストが駐在しているケースがほとんどかと思われる。
なので精神的な相談やカウセリングもしやすいことだろう。そして周りは自身と同じような境遇の方なので空気が温かい。
私は1日の体験だったが、ここを利用し新しい職に就くことを決めた。
これからどうなるか正直分からないが、ひとつだけわかることがある。
生きていれば明日は来る、明日には明日の風が吹くということだ。
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★余談★
いま、私が読んでいる本を紹介するという蛇足的なコーナーだ。
- 作者: フランツカフカ,Franz Kafka,中井正文
- 出版社/メーカー: 角川書店
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これはある妖精から、「面白いよ、読んで読んで」とかわいく、それはもうかわいく
懇願されたので図書館から借りて読んでいる。
のっけから主人公が可哀そうでならない。こんな変身はまっぴらごめんである、チャオ。
看護師さんを応援したい
入院4日目です。
朝から新聞を読みながら紅茶飲んでいい身分です。もうすぐプー太郎になるというのに。
それはさておき、看護師さんの偉大さを入院してひしひしと感じます。
手際の良い健診、点滴や薬剤の取り替え、患者への適当な対応、患者の健康状態データ打ち込みetc…
それを笑顔でやっている。まさしくプロフェッショナル、尊敬の言葉しかありません。
ただ入院して感じた点がいくつかありました。
看護師の負担を減らせる余地はあるのじゃないか。そもそも人手が足りてなさ過ぎる。看護師の自身の健康・精神衛生はどう守られているのか。
看護師さんはもちろん人間です。
その人間でしか出来ない部分も今の医療現場の数十年後にAIが発達したとしても、やはり機械相手と人間相手の安心感は違います。
他愛ない世間話や患者の何気ない一言で健康状態や精神衛生的な部分を知ることが出来るのではないでしょうか。
他の技術面。
例えば、包帯を巻き直したら点滴を入れ替えたり、点滴の減りを定期的に確認・記録したり、また患者を運ぶ際に肉体的な負担を減らす(これは実用されていますが、まだ試験的な段階であまり見かけることのない措置ですね)。
データ打ち込みもよりスピーディーになり、他の看護師との情報共有が上手くできるようなシステムが開発されれば負担を幾ばくか減らせるのではないかと考えさせられます。
こんなもん誰だって考えているし、もうその先の先の議論どころかシステム開発検討段階だ!と突っ込まれるかもしれないですが、個人的に看護師さんに大変お世話になったので少しでも労働が楽になる仕組みを作るその一端を担えたらと考えました。
看護師さん、アナタのおかげで私は元気に過ごせています。ありがとう。
インフルエンサーなんて嫌いだ
私は正直インフルエンサーという言葉が嫌いだ。
どうしてか。
それは単に意識高い系の言葉を毛嫌いしているという矮小な理由だ。
だが、最近のインフルエンサーを自称する人物を見ると偏見を除いても眉をひそめたくなるものがある。
SNS上ではよく「note」を使い読者やサロンの参加者にとって有益な情報を提供したり、お互いの知識を共有し新たなビジネスの足掛けとする素晴らしい兆しがよく見られる。
のだが、その多くはなにかまゆつば物だったり、なにか自身に酔ってインフルエンサーを自称したりあたかも神のように奉られ持ち上げられるだけの人物もちらほら見かける。
そしてそういう人物に限り、自身への批判的なコメントをブロックする。
批判は確かに鬱陶しく感じることもあるが、時に自身を成長へと繋がるヒントが含まれていることがあると私は考える。
それを選り好みをし、自身にとって都合の良いコメントや耳障りの良いことしか言わない者を囲んでサロンやビジネスを語るのは正直片腹痛い。
これは私の考えだが、真のインフルエンサーとは個人で努力し批判的な声もなるべく傾聴し成長へと繋げていく努力家ではないかと思う。
単に流行を振りかざすだけではお粗末ではないか、と私は考える。
中にはインフルエンサーと称して個人の私腹を肥やすことを考えている輩もいるかもしれない。
そういう自称インフルエンサーが多くいるから私はこの言葉がはっきり言って嫌いだ。
別にドラクロワの自由の女神のように導かなくてもいいではないか。
人徳やその人が行うアクションに魅力を感じる人は自然とその人に付いてくる。
それが真のインフルエンサーではないか。
サロンもそうだ。三人寄れば文殊の知恵というが、烏合の集となっていないか。
それは批判的な声が気づかせてくれる。
かく言う私も批判的な声に耳を傾けて成長しなければならない。
人は生涯成長していくものだと私は信じてやまない。
カフェイン中毒による自殺の試み
まずはじめに言っておく。
どんな自殺も失敗すれば死ぬよりキツイ結果が待っている。
自殺は必ずしも成功するとは限らず、おおよそ失敗に終わる。
私は会社でSEとして働いていたのだが、前職で発症していた抑うつがぶり返し自分が思うようにいかなかった。
そして家族もそんな自分を見て不安になり、ちゃんとやっていけるんだろうか。
もしかしたら死ぬまで養わないといけないのだろうかと頭を抱えていた。
そんな両親を見て私はなぜか「私がいなくなればみんなハッピー。私はいては迷惑な存在だ。そうだ、死のう」という合理性のかけらもない思考結果に陥ったのである。
そこでネットで見つけたのがカフェインの大量摂取による中毒死だった。
エナジードリンクや錠剤の眠気覚ましを大量に飲めば、身体の許容範囲外のカフェインで中毒死するというまとめブログだった。
しかし、そこにはリスクが大きいと書いてあり失敗した際の自殺未遂者の体験談が赤裸々に書いてあった。
書いてあったのだ。
だが、私には「死」の文字のみしか見えていなかった。盲目的になっており、近くの薬局で大量にカフェイン関連の薬剤を買った。
そして近くの公園でそれらをすべて飲み干した。飲み干したあとは特に意識がなくなるわけでもなく、少し頭がぼうとするのみだった。
次第に思考力が落ち、これはそろそろ死ぬのかなと期待をしていた。
だが現実は厳しいものだった。
私
結局自宅に帰り、しんどさから横になったのだが目の前がくらくらし手足が痺れだした。
そして身体が痙攣を始めて両親が救急車を呼んだ。
近くの病院に運ばれた私は意識が朦朧としており、医師の問いかけに答えるのが精一杯だった。
そして突如胃から溜飲が上がり盛大に吐いた。
腹部は痛くなり、恐らくカフェインの成分と胃酸のせいで食道や胃からあたりがただれ死ぬより辛い激痛がそこから始まった。
そして何度も「痛い」と繰り返し、ナースコールを何度も押して看護師の方に迷惑を掛けた。
クスリも処方してもらったが、即効性は自身が期待したいほどはなかった(服用しておよそ5時間ほど)。
それでもただれた内臓の痛みを焼けるように鋭く痛く、もがき苦しむ羽目になった。
生涯であそこまで苦しく傷んだのは初めてだったと思う。
ようやく病院に搬送され3日目に内臓はクスリと看護師、医師の方のフォローで痛みがなくなった。
尿道カテーテルもとれ、あとは口からの栄養補給が出来るようになるのを待つのみだ。
いかがだっただろう。
自殺に追い込まれるほどの精神状態は自身は理解しているつもりだ。盲目的で死が大変魅力的に感じるのだ。
だが、死はそう簡単に迎えてはくれない。
失敗し、待っているのは地獄のような苦しみなのだ。
だから、もしこの記事を読んでいる貴方が自殺をしようとしているなら辞めることを強く強く推奨する。
自殺以外に今の苦しみから逃れる術はきっとある。
自殺は貴方をさらに苦しめるきっかけに大いになりうる。
そのことを考えて自分の身体を大事にして欲しい。
愚かな私からの些細なお願いだ。