インフルエンサーなんて嫌いだ
私は正直インフルエンサーという言葉が嫌いだ。
どうしてか。
それは単に意識高い系の言葉を毛嫌いしているという矮小な理由だ。
だが、最近のインフルエンサーを自称する人物を見ると偏見を除いても眉をひそめたくなるものがある。
SNS上ではよく「note」を使い読者やサロンの参加者にとって有益な情報を提供したり、お互いの知識を共有し新たなビジネスの足掛けとする素晴らしい兆しがよく見られる。
のだが、その多くはなにかまゆつば物だったり、なにか自身に酔ってインフルエンサーを自称したりあたかも神のように奉られ持ち上げられるだけの人物もちらほら見かける。
そしてそういう人物に限り、自身への批判的なコメントをブロックする。
批判は確かに鬱陶しく感じることもあるが、時に自身を成長へと繋がるヒントが含まれていることがあると私は考える。
それを選り好みをし、自身にとって都合の良いコメントや耳障りの良いことしか言わない者を囲んでサロンやビジネスを語るのは正直片腹痛い。
これは私の考えだが、真のインフルエンサーとは個人で努力し批判的な声もなるべく傾聴し成長へと繋げていく努力家ではないかと思う。
単に流行を振りかざすだけではお粗末ではないか、と私は考える。
中にはインフルエンサーと称して個人の私腹を肥やすことを考えている輩もいるかもしれない。
そういう自称インフルエンサーが多くいるから私はこの言葉がはっきり言って嫌いだ。
別にドラクロワの自由の女神のように導かなくてもいいではないか。
人徳やその人が行うアクションに魅力を感じる人は自然とその人に付いてくる。
それが真のインフルエンサーではないか。
サロンもそうだ。三人寄れば文殊の知恵というが、烏合の集となっていないか。
それは批判的な声が気づかせてくれる。
かく言う私も批判的な声に耳を傾けて成長しなければならない。
人は生涯成長していくものだと私は信じてやまない。