しょっぱいコーヒー
恥ずかしながら私は30近くにもなって、未だに親のスネをかじっている。
持病があったとしてもこの状況から早く脱したいと思っている。
その思いを親には伝えている。
伝えているが、その思いを、期待を何度裏切ったことだろうか。
その度に親の落胆した顔が浮かぶ。
母はせせり泣き、父は情けなさそうに首を垂れる。
私は部屋の隅で土の味を噛みしめるように子どものように泣いている。
情けない。
その度に幾度死のうと思ったことか。
いや、何度か死のうと試みたが命というのは丈夫でなかなか絶てぬ。
あげく、病院に入院し新たな負い目を築く。
前職は奮起し、良い企業に入れここで真の自立を目指していた。いたが、その思いは早くも頓挫した。
体が自身の言うことを聞かない。たっぷりと睡眠をしたのに日中に立っていられないほどの眠気が襲いかかる。
当然、そのような状態でろくな仕事は出来ぬ。
会社からその状態をまず治すことが第一だと諭され辞めた。
悔しくて、情けなくて、辛かった。
なぜ出来ない、なぜ続かない。
私が甘いからだろうか、心が弱いからだろうか、自分の芯といえるものがないからだろうか。
自身の負い目ばかりが頭を巡り眠れなくなった。医師に睡眠薬を調剤して飲んでも満足に寝ることが叶わぬ。
ある日、私はカフカの「変身」を読んだ。朝起きると主人公グレゴールが毒虫に変身しているという話だ。そしてその毒虫は家族から忌み嫌われ、やがては生き絶えてしまう。
家族から化け物や厄介者と言われ、何も言い返すことができない。私はグレゴールを憐れみ、共感した。
そしてこう思った。私も今、グレゴールと同じく毒虫のような存在ではないか、と。
何も出来ず、親から厄介者扱いされ、言い返すことが叶わない。やがては朽ち果ててしまうのだろうか。グレゴールと同じ道を辿るのではないか。そう思うと彼の境遇があまりにも理不尽だがありふれたものに思えた。
また、恐怖した。私は親から忌み嫌われないように機嫌伺いをし立ち振る舞う人生を歩むのだろうか。
親には言葉に出すと矮小に聞こえるだろうが、感謝している。恵まれた環境にいると我ながら思う。だがそれが伝わらぬと親は言う。
親が求めているのは、私が普通の人のように働く様を見ることだ。だがそれは出来ないことだろう、私たちは一生この甲斐性なしの世話を見て詰まらない余生を過ごす羽目になる、人生を振り回されるのだろうと言う。
なるほど、私は親からの信頼というものが一切なく、期待はまるでされていない。目の上のたんこぶで消えるものなら早く消え去って欲しい、と望まれているのだ。
私はその現実を一瞬でも見たくなかった、頭を冷やして明日へ歩むために喫茶にでも行きコーヒーでも飲もうかと荷物をまとめ玄関へと歩んだ。
だが、それすらも止められる。
「逃げるのか!私たちはこんなにも辛いのに!自分だけ楽になろうとするのか!」
私は悲しさから逆の感情が喉元から上がってくるのを感じた。何故だ。何故、逃げることが悪なのだ。一瞬だ、少しだけでもこの地獄のような状態から逃げるのが人間の性だ。ここに留まってどしりと腰を据えるほど私はタフではない。なぜ逃げさせてくれない。
なぜ逃げることをそんなに嫌う。私がいつも逃げているように見えたのだろか。何を見ていたのだ、貴方たちは。
荷物をしきりに引っ張る母に、つい声を荒げてしまう。そうすると、母はよよと泣くのである。なんでそんなことを言えるんだ、と私に泣き叫ぶ。五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い。
貴様らの言うことなんざ聞きたくない、見たくない。
たくさんだ。私は家を出て、街に彷徨うように歩き喫茶に寄った。一杯のコーヒーを頼み、席に崩れ落ちるように座った。
そして親友に助けを請いた、少女のように泣き、己の中の苦痛を叫んだ。親友はそんな私の甘えを暖かく聞いてくれた。それだけで十分に心が癒された。
私は、私はただ辛さを聞いて欲しかった。それだけなのだ。そして、それを受け止めてくれるだけで良かった。
それらをしてくれたのは、家族ではなくネッで知り合った親友だ。紛うことなく親友だ。
落ち着いてすっかり冷めたコーヒーを一口飲んだ。苦味としょっぱさが混じる、切ない味だった。