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世の中にウソは溢れている、けれど人は真実が見えている

 SNSでよく「~~店でひどい目にあった」「~~でこんな被害にあった」という利用者からのリークがあり、それを目にした人がこれは酷いと拡散をする現象が起きているのは皆さんもよくご存じのことだろう。

だが、そのリークを丸呑みして拡散し「加害者」を叩き「被害者」を擁護するのはいかがだろうか。

そのリークは投稿者の都合の良いことばかりを切り貼りしたものではないか、と一度止まって考えてみたらどうだろうか。

人の記憶というのは良くも悪くもできていて自分に都合の良いことを鮮明に記憶していることが多い。

 たとえば、昔に学校で先生に𠮟られた記憶だ。

その記憶では先生が悪役で、自分は「被害者」になっていたりしないだろうか。

別段悪いことはしていないのに理不尽な怒られ方をした、と記憶しているとしよう。

実際は当時の自分の過ちを怒られることが怖くて認めなかったことで先生の反感を買い、盛大に怒られたというものだとしたら。

別にウソをつくつもりではないのだと思う、恣意的な悪意はないのだろう。

しかし、記憶と実際の出来事を照らし合わせるとウソになる。悪意のあるように傍からは思われるかもしれない。

 

 記事はすべてを映し出した文章ではない

 新聞の記事も出来事をすべて描写はしていない。そのようなことをしていたら新聞は毎刊ごとに今の数十倍の厚さになることだろう。必要最低限な部分を記者の裁量で切り貼りし読者に伝える。ましてや素人が突発的に書いた記事など出来事のレイアウトのオンパレードだろう。

それをすぐに真に受けるのは少々危険ではないだろうか。そして己の正義感に任せて拡散し、あまつさえその「加害者」に対して問い詰めるのは恐ろしい事だ。

皆、正義を持っている。悪・不正を許せない、弱者を虐める輩なぞ放っておけない。

素晴らしいことだ。いや皮肉ではない、本当にそう思う。その正義を失くしたら人は人でなくなる。だが正義は人を殺す。大げさな表現ではない。正義は時にナイフより鋭く、どんな劇薬より人に苦しみを与える凶器になる可能性を持つのだ。

 

多くの正義のヒーローは必要か

 ではその多くの正義感があるヒーローは何故、最近になり多く増えてきたのだろう。

そこには現在の日本の社会の闇が原因かと、私は思う。ブラック企業、虐待、残虐な殺人、陰湿ないじめ。世は酷く濁ったように変わった、と思われても仕方ない有様だ。

心が痛むようなニュースは毎日TVや新聞、ネットで流される。

そこで人々は私が「悪」を成敗せねばという気持ちが高まっているのではないだろうか。そこに正義が生まれるのだ。酷く歪んだ正義が。

 

最近で小学4年生の女児が父親に虐待され亡くなったニュースがあった。児童が学校に対して必死の思いで助けを出したアンケート。それは秘密裏にされるべきものだったが、教育委員会は父親の脅迫に負け渡すという大失態を犯した。また続けて児童相談所にも児童に助ける機会があったのにも関わらず見逃すという失態があった。

それに対して、「なんてことだ。許せない」と思うのは人として真っ当な感想だと私は思う。

 だが私が頭をかしげるのはそこからだ。現在ではそこの教育委員会児童相談所には大量のクレームの電話が入っているそうだ。

関係者がクレームや異議の電話をするのは、問題解決のための方法として必要なことだ。だが無関係であるその他大勢の正義のヒーローが電話をかける必要はどこにある。

かけて何か変わるのだろうか。むしろ本来に行わなければならない業務の遂行の足を引っ張ているのではないか。正義の暴走は怖い。自身は正しいと思っているからだ。

どこぞライダーの言葉を借りるならば「人は正義のためならばどこまでも残酷になれる」。

正義は薬にも毒にもなる、そのことを意識している人はどれだけ多い事だろう。

 

記事を見るときに気を付けること

 話が少し逸れたので戻そう。

もしSNSで「~~という被害あった」という投稿があったとしよう。

それは真実でもあるし嘘でもある可能性あることを頭にまず浮かべて見てほしい。

そして安易に拡散をしていいものか、と考えてみよう。

もしその一部が真実だとしても、自分はあくまでも記事の読者なのであり裁く権利があるものかどうかをよく考えてみよう。

もしその記事が故意に嘘だとしてもそれを必要以上に叩くことはやめよう。その叩く事で人は呆気なく死んでしまう可能性があることも考えよう。

 

まるで小学校に道徳の時間で習うようなことだが、案外それが成すことは難しい。

人は正義のためにウソが真実と見えてしまう、視野が狭くなってしまう。

自分が見ているものが正義だと真実だと思いたいのだ。

ただ一度止まってみよう。後ろを振り返れば違うものが見える。上を見れば綺麗な空が見える。世の中、濁った中でも輝くものがあるものだと気づくかもしれない。

 

 ちなみに言葉を借りたライダーはこの作品だ。

え、販促みたいだって?そんなことないですよ?嘘みたいだって?え、そりゃ困ったな…ウソかどうかは自分でちょっと考えてみてくださいよ、ではチャオ。