親という病
血は水よりも濃い、なんてあるがそれは幻想だ。
家族の絆なんぞ過程によって決まる。
世の中に蔓延るニュースがそれを物語っている。
血の繋がった子を親を殺めたり、傷つけたりする事件を見る日は少なくない。
家族も所詮は他人なのだ。血の繋がりというのは、仲の良い家族にとっては強く結った手綱のように頼もしいものだが、逆の関係性であると呪いの楔にすぎない。
「家族なのに見捨てるの?」「家族だから助けたのに」「お前なんて家族じゃない」
ましては夫婦になると真の他人だ。紙切れ1枚で家族という形を保っているに過ぎない。なんとも危うい関係性だろう。
その他人と価値観が同じ、考え方や捉え方が同じなんてことはあり得ない。
それはもうファンタジーと言っても過言ではない。
だからこそ、相手の話を傾聴したり立場に立って考えたりする必要性が求められるのだが、家族という楔がそれを忘れさせる。
家族だから言わなくても分かる。相手より自分がこんなにもしんどい。
自己主張合戦から始まり、喧騒になり、揉み合いになる。
こうなると目も当てられない。みにくいことこの上ないものだ。
僕は家族というものが呪いの言葉のように今は感じられない。
しかし、家族がいなくなればその有り難さに気づくのだろうか。
それとも、家族がいない開放感に自由を感じ肩の荷が下りる嬉しさに舞い踊るのだろうか。
僕は一刻も早くあの家から出なければならない。そうでなければ僕はすっかり壊れてしまうに違いない。逃げてしまいたい。