過去1
いつもの授業を終えた時だった。いつも縁遠がノートに何か必死に書いているのを見た。何を書いているのだろうと思い、彼女に声を掛けてみた。
「やあ、縁遠。何か熱心に書いているようだね、よかったら教えてくれないか」
「あ、いえ、そんな、大したことじゃなくて、その、あの」
なんとも歯切れの悪い答えだ。同じクラスの女子にはここまで詰まることなく流暢に話しているのを見たことがあるがどうしたことか。もしや僕が嫌われている?それか男性恐怖症というものだろうか。それと書いているものが本人にとって他人に知られたくないものなのかもしれない。そうだとしたら無理に聞くのはよくないだろう。
「いや、邪魔して悪かったな。ああ、今日の授業で分かりにくいところはあったかな」
「い、いえ、いつも分かりやすくて、その、えと、ありがとうございます」
お礼を言われてしまった。うむ、この子は扱いはなかなか気をつけないといけないかもしれない。下手に怖がらせて後に男性と接することができないとなれば社会に出ることが難しくなってしまう。それは教育者としては本望ではない。ここは一旦引いておくべきだろう。
「それじゃ、次は移動教室だったろ。遅れないように気をつけろよ」
「あ、はい。分かりました」
私は彼女に軽く手を振って教室を後にした。しかし、あのノートに「なにか」を書いている時の彼女は憑かれているように一心不乱だった。あのノートにはなにがあるのだろう。そしてあの時の彼女は少し笑っているように見えた、楽しげというより子供が虫を残酷に弄んでいるような邪気が込もった笑い。少し不気味だなとしかこの時は感じていなかった。彼女には「なにか」あるという違和感にもう少し真剣に向かう必要があることにこの当時の僕は気づきもしなかった。